1歴史資源
(1)伊丹郷町(いたみごうちょう)
伊丹村を中心とした15ヶ村の集まりの総称で、江戸時代初期は幕府領であったが、1661(寛文元)年にうち10ヶ村が近衛家領となり、摂関家に保護される形で酒造業が栄え、盛時には80軒近い酒造家が軒を並べていた。 伊丹郷町は、酒造業が近衛家の奨励のもと一層発達し、江戸をはじめ諸国に送り出され、酒造家のもとには、全国から文人墨客がやってくるようになり、酒造家の旦那衆も俳諧をたしなむなどして、文化的薫りの高い町としても発展した。
(2)多田街道
多田街道は伊丹郷町から北へ延びる主要な道路で、北の口を起点に北村を通り、川西の久代、栄根を経由し多田神社へ続く参詣ルートである。多田街道の沿道にある北村地区は辻の碑や教善寺といった歴史資源もある。また、市の景観形成道路の指定を受け、地域住民の協力により街道沿いの家並みが整っている。
(3)旧大坂道
旧大坂道は旧伊丹郷町と大坂や尼崎方面を結ぶ主要な道路で町場を形成していた。通りの景観を特徴づけているのは厨子二階建てをはじめとする町家で、中には酒造りで栄えた近世の伊丹をしのばせる酒蔵が見られる。通りは、南北に直線的な形態を持っており、これに交差する路地的な通りは、幅員が狭く、表通りである旧大坂道との交差点がT字型になっていることから、視線の抜けが少ない。また、有岡城惣構えの南の砦であった「ひよどり塚」が家並みの背後に見える。
(4)旧西国街道
律令制によって唯一の大路として定められた都と太宰府を結ぶ古代山陽道の江戸時代以降の呼称である。この山陽道は中国・朝鮮からの使節や技術者の一行も通う大路として重要であった。江戸時代に入り、古代山陽道は東海道をはじめとする五街道の整備により脇街道となったが、東海道伏見宿から分かれ、山崎から西宮宿までを「山崎通り」、通称西国街道と呼ばれた。昆陽は宿場町となり本陣が置かれた。
(5)江戸の花形・伊丹酒
江戸時代の伊丹は酒造りのまちで、これにまつわる桶や樽職人・臼屋(精米)・薦(こも)造りなどの職人も集まり、人々の生活、まちの経済の中心は江戸積みの酒造業であった。摂津の猪名川上流の伊丹・池田・鴻池(伊丹市)の酒造家は酒造りに使う米すべてに精白米を使用した諸白(澄み酒)で、麹米・蒸米・水を3回に分けて酒を造る「三段仕込み」といわれる清酒醸造法を開発した。現在の清酒もこの方法で造られている。江戸時代、京・大坂などから送られる諸品は「下り物」と称され、酒も「下り酒」として江戸で高い評価を受けた。寛政11年(1799年)刊の「日本山海名産図会=伊丹市立博物館所蔵」には、「伊丹は日本上酒の始とも言べし」と記されている。特に伊丹の酒は丹醸(たんじょう)」と賞賛され、将軍の御膳酒になった銘柄もあり、江戸・古川柳にも伊丹酒を詠んだ句が多くある。しかし、一部の銘柄を除き江戸後期から明治にかけて伊丹の酒造業は衰退し、醸造を停止したが、「剣菱」や「男山」など現在も他産地に引継がれ醸造されているものもある。なお、伊丹市鴻池には、「清酒発祥の地」の伝説を示す石碑「鴻池稲荷祠碑」が建っている。
(6)旧岡田家住宅・酒蔵
江戸時代の延宝2年(1674年)に建てられた町家と約40年後に増設された酒蔵である。店舗は県内に現存する最古の町家で、年代が明らかな17世紀の町家としては全国的にも貴重である。また、酒蔵は現存するものでは日本最古で、江戸時代に隆盛を極めた伊丹の酒造業の歴史を伝える重要な文化財で、平成4年国の重要文化財の指定を受けている。店の間は当時の帳場を再現するとともに江戸時代のかまどを保存処理し、展示している他、酒蔵は照明・音響装置を備え、多目的ホールとして活用することも可能である。この旧岡田家住宅(店舗・酒蔵)のほか、旧石橋家住宅、美術館、柿衞文庫、工芸センターを含め「みやのまえ文化の郷」を構成している。
阪急伊丹駅あるいはJR伊丹駅から徒歩で5分程度のところにある。
(7)旧石橋家住宅
県の文化財指定の旧石橋家住宅は、江戸時代後期に建てられた商家で、主屋の正面は厨子二階の塗り込めの軒裏と虫籠(むしこ)窓、出格子窓、正面中央の摺り揚げ、出入口装置やバッタリ床机など、建設当初の店構えを残している。下店では全国の工芸作家作品の展示販売をするほか、火鉢や机、箪笥などを展示し当時の商家を再現している。また、木~日曜日まで5人以上で予約すれば、郷町御膳が食べられる。
阪急伊丹駅あるいはJR伊丹駅から徒歩5分程度。
(8)猪名野神社
江戸時代、伊丹郷町の氏神として、本殿は貞亨3年(1686年)に建立され、境内には酒造家や商人の寄進による97基の石灯篭が並んでいる。戦国時代の武将・荒木村重の居城であった有岡城の惣構えの北端「岸の砦」が置かれていた所でもあり、境内西側には土塁と堀跡が残っており、JR伊丹駅前の有岡城本丸跡とともに国指定史跡となっている。また、境内にあるムクロジ(無患子)は樹高13.5mの巨木で市の文化財の指定を受けている。
阪急伊丹駅から徒歩5分、JR伊丹駅から徒歩10分で、伊丹緑地の南の入口ともなっている。
(9)有岡城跡
有岡城は、戦国時代末期の武将・荒木村重の居城で、侍屋敷、町屋ごとに堀や土塁で囲んだ惣構えの城、難攻不落の城で、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と書き残すほどの名城であった。村重が信長に背き天正7年(1579年)落城、その後廃城となったが、後の安土城のモデルになったとも言われている。昭和54年と63年に国指定史跡となり、現在は石垣の上に本丸跡を一部復元し、公園として整備されている。
JR伊丹駅前にあり、阪急伊丹駅からは徒歩7分程度。
(10)清酒発祥の地、鴻池稲荷祠碑(こうのいけいなりしひ)
清酒発祥の地「鴻池」の児童遊園地内に建っている鴻池家の由来を記した石碑で、江戸時代後期の儒学者中井履軒が寛政12年(1800年)ごろ書いた漢文が刻まれている。石碑は亀形の台石「亀趺(きふ)」の上に立ち、中国古代の貨幣「布貨(ふか)」の形をしており、碑文には、鴻池初代の新六は山中鹿之助の子孫で、慶長5年(1600年)鴻池村で清酒「双白澄酒(もろはくすみざけ)」を造ることに成功し、これが鴻池家の繁栄の基礎となったと記されている。
市バスJR伊丹・阪急伊丹両駅前2番のりばから荒牧公園行きで鴻池下車、徒歩3分。
(11)伊丹廃寺跡
昭和41年に国の史跡指定を受けている伊丹廃寺跡は、奈良の法隆寺と同じ伽藍配置で建てられた白鳳時代の寺院跡で、金堂基壇や朱塗りの北門などが復元され、史跡公園として整備されている。発掘調査による出土品は、県指定文化財で、市立博物館に一括保存・展示されている。中でも、塔の飾り金具である水煙や風鐸などの金属製品は、全国でも出土例が少ない貴重な資料である。
市バスJR伊丹駅6番のりば、または阪急伊丹駅5番のりばから山本団地行きで県高前下車すぐ。
(12)昆陽寺(こやでら)
昆陽寺は、奈良時代の名僧、行基が創立した畿内49院の一つで、天平3年(731年)に創建されたとされる。朱塗りの山門と山門内に安置されている広目天・多門天立像、境内の観音堂が県の指定文化財となっている。また、境内地北西には伊丹市の保存樹木であるシイノキがある。昆陽寺から1km東には行基が同じく天平3年に築造した農業用のため池を埋め立てて整備された野鳥の楽園、昆陽池公園があり、市民はもとより阪神間からの来園者も多い。
昆陽寺へは、市バス阪急伊丹駅およびJR伊丹駅2番のりばから昆陽里行きで昆陽里下車、東へ100mで所要時間は20分程度。
(13)御願塚古墳(ごがづかこふん)
古墳時代中期(5世紀)に築造された帆立貝式古墳(前方後円墳の一種)。全長52mで馬蹄型の二重の周濠を持つ。前方部から後円部に至るくびれ部分で祭祀場と見られる方形の造り出し部が円筒はにわ列とともに発見されている。昭和41年には兵庫県の文化財指定を受けており、地域の文化財を守る会の活動により清掃等の管理が行なわれている。
阪急稲野駅から西へ徒歩で5分程度のところにある。
(14)辻の碑(つじのいしぶみ)
辻の碑は旧西国街道と旧多田街道の交差する辻に建っている。表面の銘文は長年の風雨により摩滅し、「従東寺十里」のほかは読み取れない。記録によると、この地は旧摂津の国の国境からほぼ等距離、つまり“摂津のへそ”の位置にあったことを示している。今は、市の文化財に指定され、碑を祠に納め、石張りの広場として整備されている。
市バスJR伊丹駅前5番のりば、阪急伊丹駅前6番のりばから山本団地行きで辻村下車、東へ150m
(15)北少路村(きたしょうじむら)
元禄時代の伊丹郷町を構成する15ヶ村の1つ。大坂・尼崎から中山・有馬へ抜ける街道筋で郷町の北の端に位置し、商業を中心に発達した町屋として長い歴史を持つ。猪名野神社への参道としての表通りと回遊性を持った裏通りで構成されていた。都市景観形成道路として指定している地区は、商店街として栄えた表通りに面した重要な位置を占める部分である。村内には繰綿問屋の玉屋、麻田藩札の銀主となった溜屋、大坂御用酒積替所を開いた大鹿屋らの有力商人がいた。石橋家は北少路村で紙と金物の小売業の商家であったが、明治以降は酒造業を始め日用品の雑貨商を営んでいた。
(16)ワシントンの桜は伊丹産
アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.Cで毎春、全米から観光客を集める「ポトマック河畔の桜」は戦前、日本から贈られたもので、その苗は現在の伊丹市東野の久保武兵衛氏が生産したもの。この桜のお返しとしてアメリカは大正5年、「返礼」の花言葉を持つアメリカ・ハナミズキ40本を日本に贈り、東野にも2本が届いたが枯れてしまっていた。この誇りある歴史を伊丹市民に知らせようと、市内の郷土史研究グループの調査で東京都立園芸高校にこのハナミズキの子孫があることをつき止め、同校から苗木の寄贈を受け東野地区にある荻野小学校に植えられており、毎春、美しい白い花を咲かせている。
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更新日:2021年03月31日