茶わん樋
およそ200年前,大鹿村と荻野村・鴻池村とのあいだでおこなわれた水争いの歴史を伝える記念物です。

茶わん樋の由来
瑞ヶ池(ずがいけ)は大鹿村の用水源として使われてきましたが,川上の荻野村・鴻池村とのあいだで用水争論(水争い)が絶えませんでした。とくに宝暦6年(1756年)に始まった争論は長引きました。その解決のためにつくられたのが「茶わん樋」で,現在は西皇大神社(大鹿4丁目)に移設し保存されています。
以下は樋のかたわらに立てられた「茶わん樋の由来」をもとにしるします(一部修正・補筆を加え,ですます体にあらためました)。
茶わん樋の由来
瑞ヶ池の取り水については昔より水かみに位置する荻野・鴻池の両村と争いが絶えませんでした。大鹿土地改良区に今も保存している古文書によると,宝暦6年に始まった水争いは特にはげしく,あしかけ4ヵ年の長きにおよびました。この収拾に苦心した大鹿村の庄屋や水利関係者は東奔西走のすえ,新田中野村および千僧村と協議して大坂御番所に訴えたところ,その指示により三反田村(現尼崎市域)庄屋らの仲裁で宝暦9年3月,荻野村・鴻池村とのあいだに和解が成立しました。ここに駒池東開・西開の接点(現荻野2丁目。市立荻野小学校西南角付近)に新たに樋を設け,その茶わん大の穴より漏れる水のほかはすべて瑞ヶ池に取り入れられることになりました。その後210余年,茶わん樋の恩恵はきわめて大きなものでした。
しかし,近年当地のめざましい発展にともない,瑞ヶ池は猪名川の流水を取り入れて,農業用水のほかに伊丹市上水の貯水池を兼ねることとなり,いっぽう,荻野地区もまた区画整理を実施したので,惜しまれつつも茶わん樋はその使命を終わることになりました。
よってここに,2世紀にわたり用水の確保に苦労した先祖の心情をしのび,あわせてその功労に感謝するため,この社(西皇大神社)の境内に茶わん樋の原形を移設して,永く後世にその史実を伝えるものです。
所在地
伊丹市大鹿4丁目、西皇大神社境内
交通
JR伊丹駅前・阪急伊丹駅前1番乗り場より市バス49系統春日丘西経由北野行き,または51系統春日丘西経由鶴田団地行きで大鹿東口下車,西へ約60メートル

参考文献
- 八木哲浩「宝暦6年荻野村悪水溝争論絵図」「宝暦6年鴻池村・新田中野村付近水利絵図」伊丹資料叢書6『伊丹古絵図集成』伊丹市役所、昭和57年
地図情報
この記事に関するお問い合わせ先
都市活力部まち資源室文化振興課(文化財担当)
〒664-8503伊丹市千僧1-1(市役所4階)
電話番号072-784-8090 ファクス072-784-8048
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更新日:2021年05月25日