昆陽池

更新日:2021年05月25日

8世紀前半に奈良時代の高僧行基が築いた池で,長い間地域の田畑を潤すとともに洪水を防いできました。

行基(668~749年)は渡来系の氏族出身で,現在の堺市で生れました。早くから出家しましたが,当時の国家仏教にあきたらず民間伝道をこころざし,摂津・河内・和泉・山城の国(現在の兵庫県と大阪・京都府)に49の寺院を建てたほか,信者の協力のもとに用水池や溝,道や橋,そしてを簡易宿泊施設である布施屋や,民のための寺である院をつくりました。

伊丹では,昆陽上池・同下池・院前池など5つの潅漑用水池や2本の溝をつくったほか,昆陽寺の前身となった昆陽布施屋を開き,多くの村人・旅人を飢えや病気から救ったと考えられています。のちに東大寺大仏の建立に協力して大僧正となり,人々から菩薩と称えられました。

昆陽池はむかしから歌枕となり,和歌や俳句に詠まれて大変有名な池です。藤原定家も有馬温泉へ湯治に向かう途中,昆陽池のほとりを通っています。そのときの漢詩は次のようなものです。

新雨初晴池水満 恩波風緩楽豊年 遠松迎我如親故 群鳥驚人争後先 以下略 (『明月記』より抜粋)
(しんうはじめてはれ,いけにみずみつ,めぐみのなみかぜ,ゆるやかにほうねんをたのしむ,えんしょう,われをむかえることしんこのごとし,ぐんちょう,ひとにおどろきてごせんをあらそう・・・)

江戸時代の絵図などでは周囲1里(約4キロ)とされる大池で,昆陽・寺本・池尻の3ヵ村が用水として利用していました。この池は行基が造った池のうち昆陽上池にあたると考えられます。昆陽下池は上池の西方にありましたが,慶長13年(1608年)に埋め立てられました。

昆陽池も昭和36年(1961年)に池の東側が埋め立てられ,約3分の2ほどの大きさになりました。昭和47年から残りの池全体が野鳥公園として整備され,現在は憩いの場として多くの市民に親しまれています。

昆陽池

所在地

伊丹市昆陽池3丁目地内、地図案内へ

交通

市バスJR伊丹・阪急伊丹両駅前4番のりばから松ヶ丘経由西野武庫川センター前行きで松ヶ丘下車。または裁判所前経由西野武庫川センター前行きで昆陽池公園前下車すぐ

参考文献

  • 「昆陽池」『伊丹の文化財』伊丹市教育委員会、平成7年
  • 吉田靖雄「行基の活動-摂河泉地域における-」『地域研究いたみ』第19号、伊丹市立博物館、平成2年
  • 吉田靖雄『行基と律令国家』吉川弘文館、昭和61年
  • 八木哲浩編集・解説『伊丹古絵図集成』伊丹市役所、昭和57年
  • 亀田隆之「行基と伊丹」『新・伊丹史話』伊丹市立博物館、平成6年
  • 亀田隆之「行基の社会事業」『伊丹市史』第1巻、伊丹市、昭和46年
  • 黒田俊雄「名所としての昆陽野」同上
  • 『絵図にみる村のすがた2―昆陽池・昆陽井―』伊丹市立博物館、平成15年
  • 『行基の構築と救済』大阪府立狭山池博物館、平成15年
  • 吉川真司『天皇の歴史02  聖武天皇と仏都平城京』講談社、平成23年
  • 坂井秀弥「『行基年譜』にみえる摂津国河辺郡山本里の池と溝について-古代における伊丹台地の開発-」『續日本紀研究』第204号、續日本紀研究会、昭和42年
  • 坂井秀弥「行基の昆陽二溝についての再論」『ひょうごの考古』第六号、兵庫考古学会、平成10年
  • 坂井秀弥『古代地域社会の考古学』 同成社、平成20年

地図情報

この記事に関する
お問い合わせ先

都市活力部まち資源室文化振興課(文化財担当)
〒664-8503伊丹市千僧1-1(市役所4階)
電話番号072-784-8090 ファクス072-784-8048

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