阿部備中守(びっちゅうのかみ)正次の墓

更新日:2023年03月15日

寛永3年(1626)武蔵国岩槻藩(現埼玉県)藩主の阿部正次が大坂城代を勤めたとき,近隣地域で3万石を加増されましたが,そのなかに伊丹市域の8ヵ村も含まれました。たびたび猪名川に河漁に来た正次は酒井村(現口酒井)の景色を愛し,正保4年(1647)に亡くなった時には,酒井村で火葬されました。その関係で岩槻の浄国寺のほか口酒井にも墓があります。

昭和50年に伊丹市の史跡に指定されました。

阿部備中守正次の墓の写真

上部はもともと3尺(約90センチ)の花崗岩製五輪塔でしたが,今は基礎部分がなく現高は61.4センチです。塔身が壷形で,笠の軒や屋根の反りがあざやかです。また鉢形の請花や球形の宝珠などに鎌倉時代の特徴をとどめていることから,南北朝時代の1350年ごろのものと考えられています。

下部(基礎)は宝篋印塔の基礎を転用しています。花崗岩製で高さ29.1センチ,幅29.5センチです。仏教の胎蔵界の本尊大日如来をあらわす種子アと,阿弥陀三尊をあらわす種子サ(観音)・キリーク(弥陀)・サク(勢至)がそれぞれ四面に刻まれています。種子が大きく,端正な刷毛書きで,深く鋭い薬研彫りになるなど,鎌倉時代後期の特徴を示しており,1310年代後半の造立とされています。兵庫県下でも指折りの古い宝篋印塔です。

このように寄せ集めではありますが,大坂城代と伊丹市域とのかかわりを伝えるとともに,貴重な石造美術品でもあります。

所在地

伊丹市口酒井1丁目6番26号

交通

阪急伊丹駅前・JR伊丹駅前6番のりばより市バス22・23系統岩屋循環で口酒井下車,南西へ約170メートル

周辺の地図

参考文献

  • 「阿部備中守正次の墓」『伊丹の文化財』伊丹市教育委員会、平成7年
  • 八木哲浩「口酒井に墓のある阿部正次」『伊丹市史』第2巻、伊丹市、昭和44年
  • 田岡香逸・福澤邦夫「中世伊丹の石造美術」『伊丹市史』第6巻、昭和45年

地図情報

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都市活力部まち資源室文化振興課(文化財担当)
〒664-8503伊丹市千僧1-1(市役所4階)
電話番号072-784-8090 ファクス072-784-8048

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