旧岡田家住宅

更新日:2022年11月01日

国指定重要文化財(建造物)

旧岡田家住宅は店舗と酒蔵からなりますが,とくに店舗は全国的にも数少ない17世紀の町家で,平成4年に酒蔵とともに国の重要文化財に指定されました。

旧岡田家住宅の概要と文化財的価値

指定当時の旧岡田家住宅

指定当時の旧岡田家住宅

平成4年,重要文化財に指定されたさいの指定説明文をもとに記します。文中に“現状”とあるのは指定当時の状況です。

所有者の変遷

伊丹は,江戸時代にはもとの有岡城の町家地区を中心に,酒造の町“伊丹郷町”として発展しました。伊丹郷町のうち伊丹村は27の町からなり,旧岡田家店舗・酒蔵は伊丹村の中心部の米屋町にありました。

店舗の建設されたのは棟札(むなふだ)の銘文から延宝2年(1674)で,初代所有者は松屋与兵衛であったと考えられます。与兵衛は寛文5年(1665年)にはじめて史料に見える酒造家です。正徳5年(1715年)ごろに店舗の北に酒蔵を建て,酒造業を拡大しました。しかし,享保7年(1722年)から衰退がはじまり,同14年には大坂からの出造り酒造家鹿島屋清右衛門がこの店舗・酒蔵を買収しました。清右衛門は店舗の東に酒蔵を増築し,さらに伊丹の酒造最盛期の文化・文政期(1804~30年)には千石蔵を増築して生産を拡大しましたが,明治9年(1876年),清太郎の代に廃業しました。その後,安藤家がこの酒蔵を取得しますが,明治33年に岡田正造に売却しました。正造は翌年大規模な改造をおこなっています。以後は伊丹酒類興業(昭和20年),大手がら(おおてがら(「がら」は手偏に丙))酒造(昭和43年)と引き継がれますが,昭和59年に廃業し,現在は伊丹市の所有となっています。

旧岡田家住宅の棟札

敷地と店舗

敷地は旧昆陽口村から旧米屋町を結ぶ東西通りに南面し,店舗・洗い場・酒蔵が南北に軒を接して並び建っています。廃業以前には店舗の東面には臼屋(うすや)が通りに面して接続し,酒蔵の東北に接して千石蔵が建っていました。

店舗は桁行15.4メートル,梁間15.9メートル,切妻造,本瓦葺で,正面に桟瓦葺(さんがわらぶき)の庇(ひさし)をつけています。平面は,東半の土間と西半の居室部からなっています。居室部は,当初は表側に座敷,その奥の土間側に広敷,上手奥に3室並びとする形式でした。旧住宅を店舗に改造したさい,西半の旧居室部は,みせ・みせおくと新座敷を除いて,土間となりました。また,土間表側から居室部のほぼ全面にかけてつし二階を設けています〔つし二階とは壁に近い部分の天井が低くなった屋根裏部屋です〕。

つし二階のない東半の土間部では,桁行に4間大梁を2通り架け渡し,その上に梁行梁を渡して束(つか)を立て貫(ぬき)で固めた豪壮な小屋組をみせています。正面つし二階部分には登梁(のぼりばり)を入れる形式です。

正面は,身舎(もや)の塗りごめ出桁の軒と,つし二階の両脇袖壁,および東半分の塗りごめのむしこ窓に片開戸2ヵ所を設けています。西半部は1階・庇部分とものちの改造です。

東側面は,東方にはもと鹿島屋清右衛門の代に東酒蔵があり,また,最近まで臼屋が接続していた関連で,主要な柱のほかは中間の柱を途中で切って胴梁を入れていました。上部は土壁が残っており,当初は大壁でした。ただし,東面梁間いっぱいに落ち棟の取り付いた母屋尻枘(もやしりほぞ)が各柱に残っているので,当初から東面に開口部を設けていた可能性もあります。

背面は酒蔵と一体に使用するため,開放となっています。西側面は南半に押入及び土間を張り出し,妻の上部は,中央北寄りに鉄格子付き塗りごめ片開窓,その上方に片開戸を設け,それぞれ小屋根を付けています。西妻大屋根の1段下には切妻造の小屋根を作り,平瓦1枚葺としています。

  • 第1次改造

当初の住宅を店舗に改めた第1次改造は,松屋与兵衛の所有当時の正徳5年ごろと考えられます。このとき,背面の柱筋を抜いて大梁を入れ,背面通りの居室と広敷の床,つし二階を撤去しました。そして表座敷を2室に分け,広敷・土間境に窓付きの間仕切を設けています。西妻の小突出部もこのころと考えられます。

  • 第2次改造

第2次改造は明治34年で,ほぼ現状のように改められました。さらに近年になって,みせおくの西に張り出しの押入を設け,第1次改造の小突出部をさらに改修して,押入と一連の切妻造,桟瓦葺の屋根としました。そして新座敷の裏を板壁で囲ってカマドを設け,しもみせ東妻の柱を切って梁を入れています。

店舗・店の間

店舗・店の間

店舗内部・正面入り口から見た座敷

店舗内部・正面入り口から見た座敷

酒蔵

酒蔵は桁行15.7メートル,梁間14.8メートル,三面庇付,身舎2階,本瓦葺,一部桟瓦葺です。ほぼ正方形平面の屋根の高い建物で,中央南北棟の身舎屋根を1段高くし,三方に庇屋根を葺きおろしていますが,北庇の出は浅くして,東西庇北端は,縋破風(すがるはふ)状に納めています〔縋破風とは本屋根の軒先から一方にだけさらに突き出した部分の破風です〕。南面には小庇が付いています。

1階土間中央には,桁行3列,梁行2列の6本の独立した通し柱が立っています。桁行には南妻から独立柱までと,独立柱間に太い胴差を渡し,北端は北庇柱まで梁を渡しています。東西の桁行通りの胴差・梁上に2階柱を立て,棟通りの胴差から2階柱に大引を渡して2階床を受けています。

身舎小屋組は,棟通りの独立柱で棟木を受け,登梁を与次郎に組んで桁と母屋を受けています。庇柱は半間ごとに立って貫で固め大壁としています。東側北半の庇柱は旧千石蔵との関係で1間ないし2間おきに立ち,東西庇は登梁を2階側柱に枘(ほぞ)差しとし,背面庇は身舎貫(もやぬき)から庇桁に垂木を架けています。

2階は東西側面に各4ヵ所,北面に2ヵ所,南面は1階を含めて4ヵ所に小窓を設けています。出入口は南面に引込戸の大戸を吊っています。東庇南端間に小部屋を仕切っていますが新しいもので,北西隅の板囲いの麹室(こうじむろ)も近年のものです。

酒蔵の建築年代は様式上,店舗の第1次改造と同時期と推定されます。この時に酒蔵と店舗とのあいだを切妻屋根で覆って洗い場を設け,やや遅れて洗い場の西に釜場を増築しました。さらに店舗第2次改造時の明治34年には,洗い場・釜屋の和小屋組を一部に残して洋トラス組に改造し,釜屋西端2.6メートル部分を増築したものと考えられます。

価値

旧岡田家店舗は,早くから町場として栄えた伊丹の町家としてもっとも古く,年代が確実な全国的にも数少ない17世紀の町家として貴重です。また,酒蔵は,江戸時代に酒造で栄えた伊丹の酒蔵の例として,洗い場・釜屋・店舗とともに一連の構えを残している点で価値が高いものです。

被害状況の図
店舗大屋根の崩落

店舗大屋根の崩落

釜屋北側の崩落

釜屋北側の崩落

店舗大屋根の崩落(内部より)

店舗大屋根の崩落(内部より)

釜屋北側壁面の崩落

釜屋北側壁面の崩落

保存修理工事の概要

震災前の調査で耐震構造としての有効な耐力壁不足が指摘されていたことから,耐震工法を設計し解体修理をおこないました。

設計前には(1)震災等による破損調査,(2)当初形式と後世の修理の検討,(3)技法調査,(4)発掘調査をおこないました。これにより創建時からの改造の経緯がわかってきました。とくに発掘調査では店舗の創建時から酒造業がおこなわれていたことがわかりました。

これらの成果をもとにし,将来の活用も視野に入れながら,現状変更を加えつつ修理工事をおこないました。おもな変更点は次のとおりです。

(1) 店舗はこの住宅が実質的に完成した時期(当初から一時期遅れ,2階の座敷の造作が整った時期)の姿に復旧整備する。

(2) 酒蔵は当初の姿に復するが,柱の残らない東面は大壁に整え,活用上,後世改造の外壁開口部を残す。

(3) 釜屋・洗い場は当初にはなかったが,最近の増築部分を撤去した上で残す。

所在地

伊丹市宮ノ前2丁目5番20号(市立伊丹ミュージアム)

交通

阪急伊丹駅から徒歩北東へ約9分、JR伊丹駅から徒歩北西へ約6分

専用駐車場はありません。宮ノ前地下駐車場(有料)をご利用ください。

参考文献

  • 「旧岡田家住宅(店舗・酒蔵)」 『伊丹の文化財』 伊丹市教育委員会、平成7年
  • 『重要文化財旧岡田家住宅保存修理工事報告書』 伊丹市、平成11年
  • 『岡田家住宅・酒蔵調査報告書』 伊丹市教育委員会、平成2年
  • 宮本長次郎「旧岡田家住宅(店舗・酒蔵)」 『新・伊丹史話』 伊丹市立博物館、平成6年
  • 小長谷正治「酒蔵を掘る」 『新・伊丹史話』 伊丹市立博物館、平成6年
  • 和島恭仁雄「古文書からみた旧岡田家住宅」 『地域研究いたみ』第24号、伊丹市立博物館、平成7年

関連リンク

地図情報

この記事に関する
お問い合わせ先

都市活力部まち資源室文化振興課(文化財担当)
〒664-8503伊丹市千僧1-1(市役所4階)
電話番号072-784-8090 ファクス072-784-8048

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