御願塚古墳(ごがづかこふん)

更新日:2021年05月25日

御願塚古墳は伊丹市の南郊、阪急伊丹線稲野駅の西側にある前方後円墳で、墳丘の周囲には水をたたえた周濠(しゅうごう)が巡っています。墳丘は前方部が短く低く造られた、いわゆる帆立貝式の古墳です。

昭和41年3月に兵庫県の指定文化財(記念物)に指定されました。

古墳の概要と伝承

御願塚古墳の全長は52メートルで,前方部は前幅19メートル,長さ13メートル,高さ2メートルです。後円部は直径39メートル,高さ7メートルで,その周囲の濠(ほり)の幅は8~11メートルです。墳頂部(ふんちょうぶ)は平らに削られて南神社がまつられています。

被葬者(ひそうしゃ)を埋葬した主体部はほとんど不明ですが、明治8年(1875年)に地元の人々により一部が発掘されました。その時地中より石組が現れましたが,それ以上の発掘は許可されず、詳細はわかっていません。

また,御願塚古墳を中心として200~300メートルの範囲内にかつて満塚(みちづか)・掛塚(かかりづか)・温塚(ぬくめづか)・破塚(やぶれづか)と称する塚地が存在していましたが,現在は消滅しています。「御願塚」の地名は御願塚とこれら4基の塚とをあわせて「五が塚」と呼んだことからという説もあります。

御願塚古墳空中写真
御願塚古墳の写真

御願塚古墳(北より)

近年の調査成果

昭和44年からおこなわれた周濠の環境整備にともなう第1次発掘調査で周濠の範囲が確認されました。

昭和62年(1987年)~平成7年に周濠外側の一帯で相次いでおこなわれた第2次~第6次調査では,幅4~5メートル,深さ30センチ程度の小規模な濠が巡っていたことが明らかとなりました。この小規模な外濠(そとぼり)の内部には御願塚古墳と同様の埴輪が多数出土することから,二重周濠の間の堤にも埴輪が立てられていたと推定されます。

また,平成10年の第8次調査では墳丘北西側に埴輪列で囲まれた「造り出し」と呼ばれる祭祀遺構が検出されました。また,平成12年の第9次調査でも,墳丘の北側で埴輪列がみつかりました。

このように,発掘調査が進むとともに,近隣の古墳の調査成果をあわせた学際的研究も進展しています。平成19年には最新の知見をもとに検討する講演会とシンポジウムをおこないました。

「造り出し」から出土した円筒埴輪列

「造り出し」から出土した円筒埴輪列

最新の御願塚古墳復原図(右が北)

最新の御願塚古墳復原図(右が北)

所在地

伊丹市御願塚4丁目10番11号

交通

  • 阪急伊丹線稲野駅より北西へ約200メートル
  • JR宝塚線猪名寺駅より西北西へ約900メートル
  • 阪急伊丹駅前5番乗り場より36系統JR猪名寺経由山田行きにて御願塚下車,すぐ

参考文献

  • 「御願塚古墳」 『伊丹の文化財』伊丹市教育委員会、平成7年
  • 高井悌三郎「御願塚は語る」『新・伊丹史話』伊丹市立博物館、平成6年
  • 小長谷正治「御願塚古墳とその周辺」同上
  • 高井悌三郎「中期の古墳」 『伊丹市史』第1巻、伊丹市、昭和46年
  • 高井悌三郎「御願塚古墳」 『伊丹市史』第4、 伊丹市、昭和43年
  • 小長谷正治「御願塚古墳最近の調査」 『地域研究いたみ』第18号、伊丹市立博物館、平成元年
  • 『伊丹市埋蔵文化財調査概報2御願塚古墳外堤部の調査』伊丹市教育委員会、平成5年
  • 「御願塚古墳第5次調査」『伊丹市埋蔵文化財調査概報3』伊丹市教育委員会、平成6年
  • 伊丹市埋蔵文化財調査報告書第34集『兵庫県伊丹市御願塚古墳発掘調査報告書-第8・9・10次調査』伊丹市教育委員会、2008年

地図情報

この記事に関する
お問い合わせ先

都市活力部まち資源室文化振興課(文化財担当)
〒664-8503伊丹市千僧1-1(市役所4階)
電話番号072-784-8090 ファクス072-784-8048

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