伊丹出身の阪上翔也選手、夢の切符を掴みプロ野球選手に
12月5日に実施されたプロ野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」の新人選手入団会見。その中の1人、阪上翔也選手(近畿大学)は伊丹市出身の外野手。
今回は、10月のドラフト会議当日の様子や、阪上選手ご本人と関係者へのインタビューをご紹介します。
楽天に指名された阪上翔也選手(向かって右)と、広島に指名された同大学の勝田成選手(左)
1. ドラフト会議当日
10月23日に開催されたプロ野球ドラフト会議。同日に近畿大学構内で実施されたパブリックビューイングに、筆者も参加させていただきました。
ドラフト会議では、全12球団が1位から順番に候補選手の指名を行います。どの球団に誰が何位で指名されるのか、はたまた指名されないのか、当日リアルタイムでしか分からないのでパブリックビューイングの会場内で見守る関係者やメディアの皆さんはドキドキの様子でした。
静かな会場内に、ドラフト会議で指名選手の名前が1人ずつ読み上げられる映像が映し出されます。開始から2時間ほど経った頃、指名終了を宣言する球団も出始め、関係者が固唾を飲んで中継映像を見守る中のことでした。
「第7巡 選択希望選手 東北楽天 阪上翔也 外野手 近畿大学」
中継映像から阪上選手の名前を読み上げるアナウンスが聞こえた途端、会場内には割れんばかりの拍手とカメラのシャッター音が響きました。
指名の様子が中継された直後、野球部の仲間も大喜びでした。
記者会見では、緊張しながらも記者の質問に一つひとつ丁寧に答えていました。
2. 阪上選手のこれまでをご家族と振り返る
阪上選手のこれまでの野球人生を、阪上選手の父・阪上靖さんと振り返りました。
小学生時代
瑞穂小学校出身の阪上選手は、1年生の時に「瑞穂チャニーズ」で野球を始めました。
当時から身体能力の高さには目を見張るものがあったようで、「2年生のときに出場した『伊丹市民ロードレース大会』では、1600mを6分16秒で完走して優勝しました。親目線を抜きにしてもずば抜けた身体能力だと思いましたね」。
小学生時代の阪上選手(提供:阪上選手ご家族)
中学生時代
中学校時代は拠点を和歌山県に移し、自身の祖父が監督を務める同県の打田タイガースでプレイ。実家のある伊丹を離れ、祖父母宅に下宿しながら野球のスキルを磨きました。
「小学6年生のときに、本人が『和歌山でやりたい』って言ってきたんです。」
中学生時代の阪上選手(提供:阪上選手ご家族)
高校生時代
3年夏の兵庫県大会で優勝し、甲子園出場を決めた阪上選手とお母さん(提供:阪上選手ご家族)
高校は兵庫県内の強豪校・神戸国際大学附属高校へ進学し、投手兼外野手として活躍。3年時には中心選手として春・夏と甲子園にも2度出場し、注目を集めました。
「毎週末、試合や練習を見に行って、妻と一緒にすごく楽しませてもらいました。翔也はチームメイトだけでなく保護者の皆さんからも愛される選手だったと思います。」
大学生時代
大学は関西学生野球連盟の強豪校・近畿大学へ進学。1年生からベンチ入りし、2年時にはベストナインを獲得。4年時には4番バッターも任され、春のリーグ戦で打率4割超え・打点リーグトップの打点王という成績を残しました。
これだけの結果を残しても努力は尽きません。
「4年生の秋のリーグ戦前に大学日本代表候補の合宿に呼ばれたんです。そこでは後に同じくプロ野球選手になる他の候補選手とも一緒になったのですが、彼らを見ているとそれまで周りに『大きい』と言われていた自分の身体が小さく見えて、『これはいかん』と。春の時点で83キログラムくらいだったところ、食事やプロテインを変えて10キログラム近く増やしたようです」。
大学時代の阪上選手(提供:近畿大学)
3. 阪上選手ってどんな人?ご本人と監督インタビューから深堀り!
阪上選手ご本人と近畿大学野球部の光元監督に、直接お話を伺うことができました。
野球を始めたきっかけは?
阪上選手:おじいさんが野球チームの監督をしていたことや、近所のお兄さんたちが野球チームに所属していたことがきっかけです。でも実は、サッカーとも迷っていました。
阪上選手の最大の武器は?
阪上選手:走攻守が揃っているところ。バッティングでは、積極的に打っていく中で長打が打てるところがアピールポイントです。
光元監督:走攻守ともに非常にレベルが高いです。特に、他の人が飛ばせないところまで打球を飛ばせるのが魅力の一つですね。
大学入学時から4年生の現在まで、成長したと感じるところは?
阪上選手:3年生の頃は1年間いろいろと工夫をしたが思うような結果が出なかったんです。4年生になる前に光元監督からバッティングのアドバイスを頂いて、その助言に基づいて継続して練習を続けた結果、4年生ではオープン戦からいい結果を出せました。
光元監督:走攻守ともに、1年時と比べると数段レベルアップしたと思います。特にバッティングは4年生になってから特に良くなりました。2ストライクに追い込まれてもなかなか三振しないようになり、また、精神的にも落ち着いて打席に立てるようになって成長を感じました。
チームの中心人物である阪上選手ですが、どんな選手だとご覧になっていますか?
光元監督:ちょっと"ほわ~ん"としたところがあって。言葉よりプレイで、背中でチームを引っ張るタイプの選手ですね。
目標にしている選手は?
阪上選手:打撃面では、ボストン・レッドソックスの吉田正尚選手のように、広角に綺麗に打てる打者が目標。プロ入りしたら、阪神OBの鳥谷敬さんや金本知憲さんのように長く試合に出続けて、タイトル獲得や2000本安打達成など、歴史に残る選手になりたいです。
監督から阪上選手へ
光元監督:記録にも記憶にも残るような、そして子どもたちに夢を与えるような選手になってほしいですね。
阪上選手から地元・伊丹の皆さんへ
阪上選手:自分の野球人生は伊丹からスタートしました。まずは小学校の頃に指導していただいた少年野球連盟、指導者、関係者、地域の方々に恩返しをして、そして、伊丹市民の皆さんに応援されるような選手になりたいです。
阪上選手(向かって左)と、近畿大学野球部の光元監督(右)
「翔也が野球を始めたとき、僕は野球をやったことがなかったので、野球のルールや上達方法について本を読んだりして一から勉強しました。少年野球のコーチもして、『市内大会で優勝して、全国へ行こう』って息子と同じ目標に向かって二人三脚でやってきましたね。
中学生の頃は翔也が和歌山で野球をやっていたので、僕たち親もほぼ毎週末 和歌山まで行って、試合の応援やグランド整備など裏方のサポートもしました。車の走行距離もすごいことになって、あの頃はエンジンも頑張ってくれたと思います。
僕の職場の同僚も翔也のことを知って応援してくれていたので、助けていただきましたね。僕たち親も含めて周りの皆さんに温かくしていただいたんだな、と感謝しかありません。」
お父さんの靖さん。阪上選手との思い出をたくさん教えてくださいました。
ちなみに、近大スポーツ編集部の公式X投稿によると、阪上選手の好きな食べ物は「オムライス・お母さんのご飯」。
奇しくも、ドラフト当日はお母さんが作った大きなオムライス2つを食べて臨んだそうです。中学生から実家を離れて野球に打ち込んだ阪上選手にとって、特別なご馳走だったのではないでしょうか。
記者会見後、野球部関係者で記念撮影。向かって左から、光元監督・勝田選手・阪上選手・田中部長。
阪上選手のドラフト指名について、靖さんは「率直に言うと『家族の夢が叶った』。これに尽きます。彼が小さい頃に野球を始めてからの夢やったので。」と噛み締めるように語ります。
阪上選手が目指す「長く試合に出場し、タイトルを獲得できるような選手」への道のりは、3月のプロ野球シーズン開幕とともに始まります。読者の皆さんも、伊丹ゆかりの選手の活躍にぜひご注目ください!
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更新日:2025年12月24日