令和元年5月

更新日:2021年03月31日

5月8日(水曜日)

 令和に入って1週間が経ちました。この改元の前後、4月30日から5月1日にかけて、平成の出来事、事件や流行った音楽などが盛んに報道されました。
 先の天皇陛下からは、在位30周年にあたり、平成は戦争のない平和な時代で良かったという趣旨のお言葉がありました。まことにその通りと私も感慨深く聞かせていただき、平和が続くよう努めなければと肝に銘じました。
 ここで、あらためて、私なりに平成の時代を振り返ってみたいと思います。

 私は、平成の時代は長い日本の歴史の中で、大きな転換期だったと認識しています。これには、大きく二つの意味があります。
 まず、一つ目は経済面です。我が国が近代国家になったとされる明治維新以来、国を挙げて中央集権体制を築き、国力の増進に努めてきた結果、戦争という不幸な事態もありましたが、経済面では急速に発展してきたといえるでしょう。19世紀の半ばには極東アジアの弱小発展途上国だった我が国ですが、昭和の終わりころには、世界第2の経済大国となり、経済発展の模範とまでいわれるようになりました。それが平成に入り、いわゆるバブル崩壊が起こり、日本経済は長くデフレ傾向に苦しみ、産業構造の転換も円滑には進まず、空白の20年といわれ、今度は世界の反面教師となってしまいました。
 この間、世界でもリーマンショック等経済の変動もありましたが、昭和の時代には日本が経済援助を行っていた中国は、経済規模で日本を追い抜き、その差はどんどん開き、今や経済力で世界に影響力を及ぼそうとしています。アメリカではマイクロソフトやGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に代表されるIT、情報関連企業が急速に力をつけ、世界市場を動かそうとしています。
 このように経済面では、平成時代は、日本では急成長が終わり、次の時代への対応が進まず停滞しているうちに世界が成長し、世界に占める日本のシェアは低下した時代といえるでしょう。

 そして、二つ目の転換は人口の面です。明治維新当時、3千数百万人だった人口は、折からの経済成長の原因でもあり、結果でもあると思うのですが、急激に増加してきました。そして1967年、昭和42年、明治維新からほぼ百年で約3倍となり、1億人を突破しました。それがその後の少子化の結果ですが、昭和の末ころから増加スピードが鈍化し、平成は1億2277万人でスタートしたのですが、2008年、平成20年に1億2808万人でピークを迎えた以降、減少局面に入り、平成末は1億2623万人となりました。そして今後長く、人口減少は続きそうです。つまり、平成は我が国の人口が急速な増加期から急速な減少期に転じた時代といえるでしょう。

 では、令和の時代はどうなるのでしょうか。というか、これから何をするべきなのでしょうか。何もせず手を拱いていると、経済は成長せず、人口はどんどん減少する。そして消滅する自治体がでてくる、国全体も衰退するとの悲観論もあるようです。確かに成長拡大時期には有効だった国を中心とする中央集権体制は、平成の転換期に有効な処方箋を十分には示せませんでした。私は、これからの人口減少の成熟時代、国の指示指導を待つのではなく、地方が自立し、市民の参画と協働を求め、それぞれの地域の特性を活かして活性化を図っていくことが重要だと考えます。なお、その際、国の支援措置もできる限り利用した方が賢明でしょう。
 市民のみなさんのおかげで、ここ数年伊丹は元気なまちだといっていただけるようになってきました。伊丹市の人口は、1940年、昭和15年に37,912人でスタートしたのですが、1989年、平成元年1月には、約5倍の187,319人となりました。その後停滞した時期もありましたが、微増傾向が続き、2019年、令和元年が始まった直近の5月1日現在では198,188人となりました。ここのところ地価も上昇してきています。目安としてきた人口20万人も視野に入ってきました。人口増や地価上昇自体をまちづくりの目標としているわけでは必ずしもありませんが、住みたいまち、住み続けたいまちを目指してまちづくりを進めた結果として人口が増え、地価が上昇しているのだとすればうれしいことです。

 市民のみなさん、令和の時代も、どうぞよろしくお願いします。

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