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修武館の誕生(小西家と修武館)

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修武館の写真

寛永元年(1661年)

伊丹とその近隣11村を合わせた「伊丹郷町」が公家、近衛家の領地となる。幕府直轄の天領でも、大名が支配する藩領でもない、公家の領地ということになる。
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元禄10年(1697)

伊丹郷町に「惣宿老制度」が設けられる。「惣宿老」は伊丹と近村11村、近衛領内の司法行政を司どったもの。この惣宿老は伊丹の酒造家にその役目を担ようになっていて、小西家、四考(四代)、霜巴がその一人として帯刀を許されました。以降、小西家は代々その職につく。

伊丹の酒造業は繁栄、丹醸の町として有名に。そして、文化の町としても発展し、井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門といった、諸国の文化人たちがしきりに伊丹を訪れた。

天明6年(1786年)

小西家、七考(七代)宗脩(むねなが)は政治や経済ばかりではなく、丹醸で栄える伊丹郷町の治安も守らなければならない、地域社会の秩序安定に尽す、という思いから、徳川家治の時代に、領主の近衛家に請願して私設の道場を開設。浪人や剣術を習いたい者たちへ開放し、修行をおこなった。

これが修武館の始まりである。