昆陽池ができたのは奈良時代
「日本書紀」などによると、古墳時代、渡来系の木工技術集団「猪名部(いなべ)」が猪名川流域に住み、上流でとれる良質な木材を利用した造船、建築事業などにたずさわっていました。その子孫は奈良・東大寺造営にも加わりました。
奈良時代には、現在の緑ケ丘に、法隆寺と同じ伽藍配置の大寺院として建立されました(寺院名が不明のため「伊丹廃寺」と仮称)。
名僧・行基が水害を防ぎ水田を作るために昆陽池をつくりました。また昆陽施院(後の昆陽寺)を建て、摂津の仏教文化の一中心地として栄えました。